山田メッキ工業所は昭和35年創業以来、品質至上、顧客主義を貫き、日本における特殊メッキ技術をリードしてきました。
自動車産業という非常に巨大で重要な産業の一端を担う者としての責任感と誇りを持ち、自社のさらなる発展はもちろん、業界全体の発展を目指し、日々の生産活動に努めております。
創業期Founding period1960 ~
ブラザー工業株式会社でメッキ加工の責任者として数々の特許技術を生み出し、その功績が讃えられた先代社長が、当時のブラザー工業社長からの依頼により、協力会社として山田メッキ工業所を立ち上げる。
高度経済成長の波に乗り、創業すぐから受注。売上も右肩上がりに上昇。
1966年には知立工場(現・豊田工場)を新設し、全自動静止亜鉛メッキ装置の稼働をスタートさせる。名古屋地区と三河地区の中間にある立地の良さから、受注はさらに拡大し、自動車部品・プリント基板・ミシンの部品などを中心に、メッキ加工の技術力をさらに高めていく。
拡大期Expansion period1970 ~
「山田メッキ工業所の技術はすごい」との口コミが広がり、さらに新規受注が広がる。
それに伴い、知立工場を増設。新たなラインを立ち上げる。
バブル期へ突入とともに、生産が追いつかないほど受注は拡大。
経験・実績を重ねながら、特許技術も取得し、着実にステップアップを図る。
また、時代の流れとともに、プリント基板分野は続々と生産拠点を海外へ移していく時代に。
当社もプリント基板分野が売上の半分を占めていたが、海外生産はせず、事業自体を縮小することを決断。自動車部品分野へ、さらに注力する。
変革期Transformation period1990 ~
1991年に、知立工場を豊田工場へ呼称変更。1994年にはさらなる工場増設を行い、新たなラインを立ち上げる。
順調に受注が続くも、バブル期の終わりとともに世の中全体の経済が下火になっていく。
しかし、当社にとってはバブル全盛期に泣く泣く受注をお断りした仕事やお客様に、じっくり取り組むことができる大切な時間となる。
そうして人や会社と向き合う中で、さらなる技術力の強化や生産効率を上げていく工夫など、山田メッキ工業所がこれからさらに飛躍していくために何をしていくべきなのかを考える転換期となる。
改革期Reform period未来に向けて 2018 ~
現社長に代替わりをしたことを機に、山田メッキ工業所が次世代のメッキ加工業界全体をリードしていくポジションとなっていくために、設備投資や各社内制度の見直しに重きを置く数々のプロジェクトをスタート。
どんなに時代が変わろうともメッキ加工はなくなる技術ではない。
それ故に、その事実にあぐらをかくのではなく、メッキ加工をベースにお客様からの信頼と技術の追求に向けて、常に挑戦者であり続ける。